五魂豊穣徹底解説
『五魂豊穣』記録と記憶
2006年11月11日 遂に解禁。
asCent 2nd mini album 『五魂豊穣』の全てを
教祖・亜矢子と僧・五十嵐の両視点から徹底解析。
『五魂豊穣』
1.神さまのうた 〜nude mix〜
教祖・亜矢子
初めてこの曲に触れたのは、夜中に洗濯物を畳んでいる時でした。
受話器の向こうから聞こえて来た『神さまのうた』に、溢れ出す涙を止める事が出来なかった私。
自分の進む道を見失っていた時期。
嫉妬と悔しさで胸がいっぱいになり、久々に沸いた感情。
「この歌を唄いたい!!!」
そして時は流れ、今は私が唄ってる。
私の神さまはちゃんといました。
僧・五十嵐
学校の校舎、すすけた壁。
窓の外、苛立ち。
特に何処か別の所へ行きたいわけでもない。ただ、世界に期待するのをもうやめただけ。
誰かが呼んでいる。どう転んだって、あとは自分次第。
そんな景色を想いピアノを弾きました。
もっと色付きのアレンジをしようかと思ったけど、素材を聞いて「いいじゃん」と思えたので、今回は白黒のシンプルなままで。
2.一年中
教祖・亜矢子
「嗚呼、だから何だと言うの?」
「君に何が出来たというの?」
うるさいっ!! 余計なお世話じゃっ!!!
とかなんとか、教祖ではない普段の私ならそう罵倒するところを、たっぷりとあたたかく包み込むように唄いましたっ(笑)
プレッシャーと意地からスタートした楽曲。
まだまだ奥が深い。
だけど、きっと届くはず。
届け!! 届け!!!
今の私の最大級の魂の塊です。
僧・五十嵐
ある大御所シンガーソングライターが言ってました。「最近の若い奴は、音楽を耳栓の代わりに使っている」と。
テレビの前で、特に同意も反対もしなかったけど、何となくその言葉に違和感がありました。
昔、電車で音楽を聞いていた頃の自分は、音楽に混じって外の音が流れ込んでくるのが好きだったし、音楽が目に見えている景色と混じるのが楽しかったです。
真の意味で閉じられた音なんて存在しない。目を閉じ、他の音に耳を塞ぎ、その音楽を聞いても、やがて目も耳も開いて、少し新しくなったいつもの世界が待っているのだから。
全体の音質や音圧の調整(いわゆる音楽用語としてのマスタリングってやつですが)にかなり悩みました。映画というより、客席全体が舞台のような音にしたかったから。次にフルアルバム作る時もこの曲悩むだろうな。今聞くと、今回は冬が似合う肌触りになってるなあと思います。多分、冬の訪れが近い時に作業したからでしょうw。
3.宗教を造ろうよ 〜2006 Kazu amaterasu mix〜
教祖・亜矢子
私自身も生まれ変わりたかったんです。ありがちな言葉で表すならば「一皮剥けたかった」。
唄い慣れてしまった分伝わりにくくなってしまった想い。ううん、それ以前に自分自身が忘れかけていたのかもしれません、伝えたかったことを。
とっても長い付き合いのこの曲を「無」に還し、私はもう一度「出会い」から始めたかった。
そこに生まれる新しい「光」を見たかったんです。
空想と現実の狭間を必死に歩く私。
そんな不格好な教祖も、たまにはいいでしょ?
僧・五十嵐
音楽をやってて楽しいのは、「自分の思った通りの音ができた」とか「いい演奏ができた」とかより、思いもかけないレスポンスが返ってきた時にあります。自分は少なくともそうです。
予想もしない世界が音の向こうに広がったり、音として返ってきたりします。それは自分が下手なコールをした時だったり、意図しない方向へだったりしたものが、思いもかけずに、ということが多いのです。
今回のミックスは、そんなコール&レスポンスです。
元々、とっても個人的なラブソングだったのです。過去を昇華したかったのです。
でも、そんなところから、色んなことが始まったりするみたいです。造り始めた頃には思いもかけない、「宗教を造ろうよ」の世界に今、いることができます。
4.朝と太陽の隙間に
教祖・亜矢子
コレ、
1.精神状態がド最悪だった日に録った歌です。
2.泣いて泣いて、泣きまくった翌日の歌です。
3.何も解決されず、呼吸さえもしたくなかった日の歌です。
↑「第81魂 神様が降りて来た瞬間。」参照
だけど、ちょっとの勇気とちょっとの自信で、これだけ優しい歌になってくれました。
朝が「スタート」な人にも、朝が「ゴール」な人にも、あたたかい私の歌を照りつけてやります。だから、逃げずに見てみてください。
朝と太陽の隙間には、あなただけの物語がちゃんと存在しています。
僧・五十嵐
朝は希望に満ちあふれているわけではありません。
地球の半分はまだ夜ですし、愛する人が死んで泣いている人もいるでしょうし、仕事をクビになって家に帰ってきた人も、失恋して公園でボーッとしているお姉さんも、お酒にあまり強くなくてヘロヘロのホストもいるでしょう。
でも、希望ってそんなところにあるんだと思うんです。混沌の中で、ふっと何かがつながっていく一瞬。滅多に出会えるものではないけれど。
だけど、いつも与えて与えられて奪って奪われてだけじゃつまらないじゃないですか。生命はもっとニュートラルです。
5.愛がある世界
教祖・亜矢子
『自己否定』
これってね、自分がとてつもなくかわいいからやっちゃう行為だと私は思うんです。
『自己矛盾』
もがいてもがいて、もがき苦しんでる自分・・・。
子供のように、大人のように、悩みまくる自分にうっとり。
この「愛がある世界」という曲は、究極のドS楽曲だと思ってます。
世に溢れ返る当たり前過ぎる事例や言葉、自分自身で吐き出す裏表のある感情の波、それらに翻弄されるちっぽけな自分。
そんな恥ずかしい自分をうんとうんとさらけ出して唄いました。
6分43秒、完全1発録りの生の叫び。
やっぱ生はいい。
by ドM教祖。
僧・五十嵐
世の中には、それが絶対の前提になっているようなことがかなりあります。そのうちの一つに「愛の存在」ってのがあるかと思います。
数年前に、この「愛の存在」について一石を投じるような論調が結構あって、それもそれで「愛の存在」の盲信と似たような鬱陶しさがあるなと当時感じていました。
愛に関しては、言語論、宗教学、生命科学、文化論など、議論したらこれまた鬱陶しくなってくるんで、音楽に身を投じている今は、そこからはとりあえず逃げることにしています。
愛という対象が、議論するにはあまりにも不確かで目に見えなさすぎなんです。
この曲は、「愛の存在」を否定した世界から始まります。
「愛がない世界」の歌なんです。